ミントンアンティーク エナメル装飾カップ&ソーサートリオ 最新 アフタヌーンティー

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エナメルなど全体的に良好な状態 カップに小さなヘアラインとソーサーに製造時の?汚れ 1750年頃パリのヴァンセンヌ窯をセーブルの王室の離宮に移し「フランス王立セーブル磁器製作所」として開窯。王立として莫大な資金が投入されたのは、マイセンやウィーン窯などがヨーロッパの磁器界での地位を独占しており、国の威信の為でした。 後のマイセンの黄金期の終焉は、セーブルによってもたらされた側面もあります 贅を極めたコバルトや金彩装飾、造形、窓絵付け、などは各国宮廷で大いに迎え入れられました。東洋の模倣もこの頃からずいぶんと少なくなり、ヨーロッパ式(セーブル風)の装飾や絵付けが最上のものとなっていきました またその優位性を保つために、国内の主要窯に金彩や色絵付けなどを禁じ、価値をより高めていきました 1789年の革命で民衆により略奪破壊され、ナポレオンによって「セーブル国立磁器製作所」として再興されます 1870年には再びの災難、普仏戦争で大きな打撃を受け職人の多くが海外などに逃亡します 初期のロンドン万博などでも高い評価を受けていたセーブルの職人たちは多くがミントンに迎え入れられました ミントンは当時、多くのセーブル模倣作品を万博に出品し高い評価を得ていました。これは贋作を作っていたのではなく、ミントンのセーブル写しとして正式に発表されたものです。これは、いかにセーブルに近いものが作れるか、を示すことで技術力の裏付けとなりえた時代背景からです ミントンは逃亡してきたセーブルの職人を引く手あまたで迎え入れました。セーブルのパテシュールパテの名手ルイ ソロンもこの時期にミントンに移籍してパテの技法をもたらし継承しました。当時、ミントン窯ではフランス語が公用語として使われていたそうで、いかにセーブルの職人たちが優遇重宝されていたかが伺い知れるエピソードです しかしながら光があれば影ができるように、ミントンの既存の職人たちはその経営方針に納得がいかず、イギリス各地の他のメーカーへ移っていきます。スタッフォードシャーではこの時期に急に作風と技術が向上する窯がいくつかありますが、ミントンからの職人によるものと思われます。ウェッジウッドでもこの頃にミントングレードの豪華な金彩技法が確立されます。セーブルからミントンへ、ミントンからその周囲へ、技術は高いところから低いところへ流れ出ます

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